オペラのゲネプロ
第108回
オペラ公演では大体ゲネプロと呼ばれる通し稽古が本番直前に行われます。他の音楽会でもゲネプロは有るのが普通ですが器楽だけでしたら、まあ具合も分かっていますし、ホールの音響やバランスの確認程度で短めに切り上げることも珍しくはありません。
それに対してオペラは音楽面だけとってもオーケストラ、コーラス、ソロ、重唱などが複雑ですし、それ以上に演出的に演技や照明、セット転換など本番通りにやってみなければどうにもならないことがたくさんあります。
それでダブルキャストですと、本番前日にB組、そのまた前日にA組と、A組の初日から逆算して連日声を出さないでいいようにゲネプロが組まれます。シングルキャストだとエイヤッと前日にやってしまうか、贅沢に1日空けて前々日にするかは主催者の懐具合などで決まってきます。
芝居面や器楽関連はともかく本番通りやればいいとして、ゲネプロ時に問題になってくるのは歌手のソリスト達です。ワーグナーのように長大なものはもちろん、それほどでなくても、やはり自分の喉が楽器の歌手としては本番時に絶頂に持って行きたいわけですからゲネプロ時にどうするかは考えどころです。
マラソンを走るのと同じで、全力でやってしまえば疲労が残りますから「ゲネプロはセーブしよう」というのは誰でも大なり小なり考えます。その度合いが人によって大きく異なります。
ほとんどセーブしない人の理屈は、本番までに充分に回復して影響は残らない、あるいはほとんど残らない。バランスをチェックするのに本番通り歌わないと分からない。といったところが主でしょうか。
逆に極度にセーブしてほとんど声を出さない人は、ともかく本番時が第一、そのために声はとっておかなければ、ということに尽きるでしょう。
こういった内容面以外に主催者側としては広報宣伝のためにゲネプロにはライター、ジャーナリスト、カメラマンを招き、写真も盛大にとってもらって初日前後に紹介記事がたくさんでるように手配します。モーターショーでもオーディオフェアでも一般公開の前日がプレス公開日ですが、あれと同じ理屈です。
書き手からするとゲネプロ時に歌手が本番通りフルヴォイスで歌わない場合にどう考えるかは人によって極端に違います。「声量など抑えていても技量は完全に分かる。うまいやつはうまいし,下手は下手。」と考える人はいます。器楽奏者でも弾かなくてもステージに出てくるときの雰囲気が名人はやはり違う、というご経験は皆さんもおありでしょう。
レッスンしたりする先生も、受ける生徒の技量は部屋に入ってきて楽器を出して構えるまでにほとんど把握しているものです。
これとオペラの声量は同じ面も違う面もありますが、ともかく書き手側でゲネプロ時に歌手が声量を抑えるのを気にする人も気にしない人もいる、ということです。
歌手ソリスト側からすれば、功なり名遂げた大家ならもう実績もありますからゲネプロはほとんど声を出さず、極端な場合はカバー(本番事故時のための代役)に歌わせても、どう書かれるかは余り影響がありません。それに対して、そこまで実績の無い歌手は本番もさることながら、このゲネプロ時の歌唱でジャーナリストにマスコミ等でどう書かれるは大きいとも言えます。
声量に関係無く評価を決める人もいますが、やはり人間、目前のことには反応しますから、「とんでもなく声量があった」などというのはやはり印象に残り、絶賛されたりもするでしょう。主催の広報関係者が「今日はゲネプロなので誰々はフルボイスは出しませんからよろしく」と必死で言っても、「それはそれ」です。
以上を大きく分ければ「ゲネプロも本番の1回と同等と考え、良く書いてもらって自分の評判を上げるために頑張る」か「音楽家はやはり本番が勝負だから、ゲネプロで声量を抑えその結果よく書かれなくてもしょうがない」のどちらかとなります。
これはプロの決断ですから、それぞれが御自身の考え方で決めればいいことですが、それぞれのメリット、デメリットはよく勘案した上で決めた方がいいでしょう。片寄った考えでどちらかに決めて「自分はそんなつもりではなかった」といっても後の祭り、ということです。こういうことに正解は無く、結局自分で責任をとって行かなくてはいけないのは他と同じですね。(平井洋)




