レポートScene

このコーナーではレポートを掲載致します。

東京二期会 ベルリオーズ「ファウストの劫罰」

日 時:
2010年7月15-18日
場 所:
東京文化会館大ホール

東京二期会公演、ベルリオーズ作曲「ファウストの劫罰」のプレス公開ゲネプロを二組とも拝見した。

最初の日に会場に入ってまず目に付いたのはオーケストラピットの深さ。もっとも深いと思われる位置まで下げている。

この曲は単なるオーケストラコンサートでやられることもよくあるくらいオーケストラがメリハリに富んでいて重要。しかも何世紀たっても通用するくらいの「管弦楽法」の著書であるベルリオーズの書法だから、同じ平面でオーケストラと歌手が並んでやってすら、普通にやれば歌手は充分以上に聞こえる。

大分前だが、プロムスでショルティ指揮のシカゴ交響楽団が演奏会形式でこの曲をやった。定評のあるこのオケの金管楽器群は情け容赦なく大音量で吹きまくっていたが、歌手のホセ・ファン・ダムもゾフィー・フォン・オッターも特段声を張り上げるでもなくいつものように歌ってオーケストラのフォルテの中でも明瞭に各言葉まで響かせていて、結果的には歌手の良さが印象的な公演だった。

リサイタルでも、ピアノのふたをともかく少しでも閉めたがる歌手がいる。大事なのは「あるべき音楽的バランス」だと思うが、ともかく自分の声が少しでも相対的に鳴っているように、というほうを優先する歌手(弦楽器奏者なども)も現実的には多い。そういう音楽に2時間付き合わされるのはつらいものがある。

実際、この日もオーケストラの音色はややくぐもり気味で、指揮者プラッソンのテンポやニュアンスはとてもいいと思ったが、響きとしては残念な感が残った。

この公演のセールスポイントの一つは、演出にダンスの大島早紀子を起用したこと。彼女は以前シュトラウスの「ダフネ」でも東京二期会に登場している。

散文的に筋を追うタイプでは無い「ファウストの劫罰」は抽象的なボディパフォーマンスが入るのはいかにも合いそう。オーケストラ演奏会でもいいこの曲をあえてオペラとしてやるなら、いっそダンスまで入れて見た目にも充分楽しんでいただこう、という発想は分かりやすい。

大島はやはり、アリア以外のオーケストラだけの部分その他で存分にダンスを入れてきた。宙づりなどアクロバティックなことも入れてエンタテインメント性にも富んでいる。さすがにダンス部分の処理は手慣れたもので、オペラの中のバレーやダンスが大体類型的でつまらないのに比べれば、見ていてもなかなか面白い。

ドラマとしての歌手の動きなどよりやはりダンスに比重がかかっていて、これはまあ東京二期会側がそちらを選択したわけだから、それでいいし、ほとんどは楽しめた。

しかし、最後の「魂の浄化」というか「天上」の場面で、室内楽的なオーケストラと無垢のコーラスに浸りたいところで、多数のダンサーがあれこれやるのは、やはりちょっと受け入れ難かった。大島としては、このフィナーレこそコーラスなどに任せきらないで見せ場としてやったのだろうが。

このフィナーレを見てしまうと、「この演出家は結局バレーを生かすためにこの曲を利用しているだけなのか」と、もちろんそんなことも無いのだろうが、ついそう考えたくなってしまうくらいだった。ダンスが入るのはいいが、要はもう一段高次元でやってくれて、「ダンスを見ていたら、かえって音楽がいつもより聴こえてきた」というところまで行って欲しい。

歌手で印象に残ったのはB組マルグリートの林正子でA組の林美智子が出演不能になったのでその分の1回も引き受けたりの大活躍だったが、細かな工夫で繊細な味が見えた。

このようにそれぞれに対する印象、言いたいこともあったが、やはり二日間接してみて、素晴らしい作品に正面から向き合えた喜びは大きい。あまり聴く機会は無い作品だが、これぞ舞台、これぞ音楽と言いたくなるような感興に至らせてもらったのだから、関係各位はかなりの水準で仕事をこなしたことになる。

東京二期会は歌手の団体ではあるが、それ以上に興行主として最高の舞台作りにチャレンジして欲しい。今シーズンは「カプリッチョ」「ファウストの劫罰」など意欲的なチャレンジが見られて何よりだった。(平井洋)